大判例

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最高裁判所大法廷 昭和37年(あ)1866号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人飯畑正男の上告趣意第一点ないし三について。

所論は、まず関税法一一八条二項によつて追徴を科せられる犯人は犯罪貨物の所有者または同貨物の転売による利益の取得者であつた者に限られるとの解釈を前提とし、被告人から所論の追徴をしたことは憲法二九条、三一条に違反すると主張する。

しかし関税法の右条項にいわゆる犯人とは、犯罪貨物の所有者または同貨物の転売による利益の取得者に限られるものではなく、当該犯罪に関与したすべての犯人を含むものと解するのが相当である(昭和三七年(あ)第一二四三号同三九年七月一日大法廷判決参照)。所論は、これと異る見解に立つて原判決の違憲をいうものであるから、違憲の主張は、前提を欠くこととなり、採ることができない。

所論はまた、関税法の前記条項が犯罪貨物の所有者または同貨物の転売による利益の取得者でない被告人にも追徴を科し得る趣旨を定めたものならば、右条項は憲法三一条または二九条に違反すると主張する。

しかし、没収に代わる追徴に関する事項をいかに定めるかは、追徴なる制度の本旨に適合する限り、立法によつて定め得る事項であり、当該関税法違反の犯罪に関与した犯人のすべてに追徴を科することは、犯罪に対する制裁と、その抑圧の手段としての刑罰的性格を有する追徴の本旨に適合するものと認むべきであるから、犯罪貨物の所有者または同貨物の転売による利益の取得者でない犯人にも追徴を科し得ることを規定している関税法所論条項は、憲法三一条または二九条に違反するものとはいえない(前記大法廷判決参照)。それ故、論旨は採ることができない。

なお所論は、本件没収にかかる冷房機一台は太陽電機株式会社の所有物であるところ、同会社は、本件につき公訴の提起を受けていないため、意見または弁解を述べ、その他防禦の機会を与えられることなしに、右物件を没収され、その結果所有権を失うこととなるのであつて、右没収は憲法二九条、三一条に違反するものであり、また関税法一一八条一項がかかる没収を是認するとすれば、同条項は憲法二九条に違反すると主張する。

しかし本件において、太陽電機株式会社が公訴の提起を受けていないことは所論のとおりであるが、その代表者(代表取締役)たる被告人石井基之は公訴の提起を受けて公判手続に付され、本件犯罪事実につき、弁解、防禦の機会が与えられていたことは記録上明らかであるから、前記会社は、結局本件没収につき実質上弁解、防禦の機会が与えられていたものと認められる。それ故、前記会社に本件没収につき、弁解、防禦の機会が与えられなかつたことを前提とする違憲の主張は、前提を欠くものであつて、採るを得ない。

同第一点四について。

所論は違憲をいうが、実質は単なる法令違反の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

同第二点について。

所論中判例違反をいう点は、原判決およびその是認する第一審判決の事実認定は挙示の証拠により是認し得ないわけではなく、その間所論の採証法則違反は存在せず、所論引用の判例に反する点は認められないから、判例違反の主張は採るを得ない。その余の論旨は、事実誤認、単なる訴訟違反の主張であつて、同四〇五条の上告理由に当らない。

同第三点について。

所論は、事実誤認、単なる訴訟違反の主張であつて、同四〇五条の上告理由に当らない。

同第四点について。

所論は、量刑不当の主張であつて、同四〇五条の上告理由に当らない。

記録を調べても、所論の点につき同四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同四〇八条により、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官横田喜三郎、同入江俊郎、同石坂修一、同斎藤朔郎の補足意見、裁判官奥野健一、同山田作之助、同城戸芳彦、同柏原語六、同田中二郎の少数意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官横田喜三郎の補足意見は、つぎのとおりである。

追徴に関するわたくしの補足意見は、昭和三七年(あ)第一二四三号同三九年七月一日大法廷判決のわたくしの補足意見と同一であるから、それを引用する。

裁判官入江俊郎、同石坂修一、同斎藤朔郎の補足意見は、次のとおりである。

追徴の点に関するわれわれの補足意見は、昭和三四年(あ)第一二六号同三八年五月二二日大法廷決定(刑集一七巻四号四五七頁)のわれわれの補足意見と同一であるから、それを引用する。

裁判官奥野健一の少数意見は次のとおりである。

記録によれば、本件犯罪貨物は全然被告人らの所有でなかつたことが明らかである。従つて、被告人らに対して追徴を科した第一審判決およびこれを是認した原判決は違法であつて、棄却を免れない。

なお犯罪貨物の所有者でない者から追徴すべきでないことの理由詳細は、昭和二九年(あ)第五六六号同三七年一二月一二日大法廷判決(刑集一六巻一二号一六七二頁)、昭和三四年(あ)第一二六号同三八年五月二二日大法廷決定(刑集一七巻四号四五七頁)、昭和三七年(あ)第一二四三号および同三四年(あ)第二二七六号同三九年七月一日大法廷判決における私の意見と同一であるから、それを引用する。

裁判官城戸芳彦、同柏原語六は、裁判官奥野健一の右小数意見に同調する。

裁判官山田作之助の少数意見は、次のとおりである。

わたくしは、関税法所定の所謂犯罪貨物(例えば密輸に係る時計の如し)に対する没収に代わるその価格の追徴は、被告人がその貨物について所有権を有していたが、現在その所有権を失つている場合に限つて科せらるべきものと解するから(その理由は昭和二九年(あ)第五六六号同三七年一二月一二日大法廷判決、刑集一六巻一二号一六七二頁において旧関税法八三条の追徴の規定について述べたわたくしの意見と同趣旨であるからこれを引用する)、かつて一度も所有権をもつていなかつた被告人に対し没収に代わる追徴を言渡した第一審判決およびこれを是認した原判決はこの点において破棄を免かれない。

裁判官田中二郎の少数意見は、次のとおりである。

関税法一一八条二項により追徴を科せられるべき犯人は、追徴の本質及び機能に照らし、当該犯罪に関与したすべての犯人を含むものと解すべきではなく、犯罪貨物等の所有者又は所有者たりし者に限られるべきものと解するのが相当である。ところが、本件記録によれば、被告人らは、本件犯罪貨物の所有者又は所有者たりし者でないことが明らかである。したがつて、被告人らに追徴を科した第一審判決及びこれを是認した原審判決は、違法であつて、破棄を免れない。その理由の詳細は、昭和三七年(あ)一二四三号同三九年七月一日大法廷判決における私の少数意見と同一であるから、それを引用する。(裁判長裁判官横田喜三郎 裁判官入江俊郎 奥野健一 石坂修一 山田作之助 五鬼上堅磐 横田正俊 斎藤朔郎 長部謹吾 城戸芳彦 石田和外 柏原語六 田中二郎 松田二郎)

弁護人飯畑正男の上告趣意

第一点 原判決は、憲法に違反する第一審判決を維持した違法があり、破棄は免れない。

一、原判決は、被告人石井及び同安岡は本件各関税法違反の罪の犯人であり、かつ、太陽電機株式会社も亦右各罪の犯人に当るものと解すべきであるから――(中略)――第一審判決が被告人等に対して第一審判決主文第四項及び第五項掲記の没収及び追徴を言い渡したことは相当であつて憲法その他の法律に違反した違法はない、と判示して第一審判決を維持した。しかし、本件において没収及び追徴は、被告人等が勤務する太陽電機株式会社に対して科すべきであつて被告人等個人に対して科すべきものでない。仮りに関税法の没収及び追徴に関する規定(同法一一八条)が、被告人等個人に対しても科せられるべきものとするものであればかかる法律は憲法第二九条及び第三一条に違反するものであるから、右違憲の法律を適用して第一審判決を是認した原判決は破棄を免れない。

二、関税法における没収又は追徴の法律的性質ないし立法趣旨について学説判例の大勢は、犯人の手に不正の利益を留めずこれを剥奪せんとするにすぎないものでなく、むしろ国家が関税法に違反して輸入した貨物又はこれに代るべき価額が犯人の手に存することを禁止し、もつて密輸入等の取締を厳に励行せんとするにあるものと解し、共犯者ある場合にはその全員に対し、共同連帯の責任において納付せしむべきものとする。本件各物件は、被告人等が太陽電機株式会社の機関たる地位において、同会社の名でその計算において買い入れた上転売(但し昭和三六年三月一〇日付起訴状中第二の別表(19)の物件を除く)したものであるから、各物件の所有権は、同会社において取得し、転売による利益亦同会社が取得するものであつて被告人等がこれを取得したことは全くない。もつとも関税法の規定によれば、犯罪貨物は、これを没収し極く限られた例外的場合(同法第一一八条第一項但書)にのみ没収しないものとし、没収することができないもの、又は没収しないものの犯罪が行われたときの価格に相当する金額を犯人から追徴すると規定する(同法第一一八条第二項)が、これらの規定に従えば、前記会社は本件につき全く公訴の提起をうけていないため、意見又は、弁解を述べ、その他防禦の機会を与えられることなしにその所有に係る前記物件を没収され、その結果所有権を失うこととなる。関税法違反の物件の如きは違法性を有するものとして憲法第二九条の保護をうべき財産とはいい得ないにしても財産権の保障をうけない違法なる物件と雖も一方的に所有権を剥奪するには、法による適正な手続によるべきこと憲法第三一条の法意に照し明白であり、かかる法による適正な手続によることなくして一方的に所有権を奪うことは結局財産権を保障した憲法第二九条の法意にも反することとなる。

本件について行為者たる被告人等から没収又は追徴することとして所有権者たる前記会社につき右の意味における憲法第二九条及び第三一条の保障を認めないのは不法であり、関税法の規定がこれを是認するものとすれば、同法第一一八条第一、二項は憲法第二九条、第三一条に違反し無効というべきである。

本件において没収すべきものとされる現物の存在するのは、昭和三六年三月一〇日付起訴状中第二の別表に記載された物件一台にすぎないが。その物件について、第一審判決は、所有者たる前記会社が何等審判をうけていないのに、所有者に非ざる被告人石井から没収し以て前記会社の所有権を剥奪しているが判例(昭和三二年一一月二七日最高裁判所大法廷判決、同判例集第一一巻第一二号第三、一三二頁、同三五年一〇月一九日大法廷判決、同判例集第一四巻第一二号第一、六一一頁)は、この点について第三者の所有に係る物件について没収の言渡がなされても被告人においてこれが違憲無効を主張することは許されないとする。しかし、犯人に対する刑事手続において刑罰は犯人自身に対して科するものでありまた没収は犯人からその所有権を奪うものであるから所有者でない犯人(本件被告人等が所有権者でないことは明らかである)。から所有権を奪うことは理論上も不可能であり、更に没収が占有を奪う趣旨を含むとすれば、かかる犯人から占有権を奪つても何等の痛痒を感じないであろう。追徴が換刑処分である以上右の理は追徴にも妥当するというべきである。而して、前記各物件が前記のとおり被告人等の所有するところなく、その処分による対価又は利潤が被告人等に帰していない以上、没収及び追徴は本件被告人に科すべきものでなく、前記会社に対して科すべく、殊に本件各物件中、前記別表の物件は前記会社の所有であるのに、これを訴追することなく、かつこれが意見弁解を聴くことなく、また防禦の機会を与えることもなしに没収により所有権を奪うことは憲法第三一条に違反するものといわなければならず、右判例の見解は正当でない。(浦辺衛・関税法における追徴の性質―追徴を科すべき犯人の範囲<刑事実務上の諸問題>四一頁、谷口正孝・没収及び追徴の研究―無差別没収を中心として―<司法研究第八輯第四号>一二六頁参照)

三、原判決は、被告人等に対し追徴の言渡をした第一審判決を是認するが、前述の如くして没収されるものが前記会社である以上、現物の不存在により没収に代る追徴をなす場合、その科せらるべき者は同じく前記会社でなければならない。このことは公平の見地からも是認されるべきである。現に没収すべき物件が存在する場合には実質的にみて、前記会社のみが経済的不利益を蒙り、被告人等は何ら経済的負担をうけないのに、たまたま、その物件が転売等の理由により、存在しないときは、本来没収による経済的不利益をうくべきであつた前記会社の外、本来経済的不利益をうけることのない筈の被告人等において経済的不利益を甘受しなければならないのするのは、結果的にみて不公平であるばかりでなく、然るべき所以にまで遡つてみても納得させるに足る根拠は見出せない。判例は、追徴の制度の本旨とするところが、これによつて関税法に違反して輸入された貨物に代るべき価額が犯則者の手に存在することを禁止し、もて密輸入の取締りを厳に励行せんとするにあること、要言すれば、犯人がその手中に納めた利益を剥奪することによつて今後かかる違法な行為に出ないようにせんとする意図に基くものと説明するのが、本件の場合被告人等は、その手に何等の利益を収めず、ひとり前記会社のみがその利益を収めていたのであるから、被告人等は追徴による経済的不利益を甘受すべき地位にないことを特に注意しなければならない。又、追徴はその制度の趣旨が前記判例の見解のとおりであるにしても、結局根本において没収という刑罰に対する換刑処分であることを否定できない。然りとすれば追徴の制度に科せられる役割は没収のそれの限界を越えてまで拡張的に認めらるべきでなく、却つて判例にいわゆる「違法な行為の禁遏」という保安処分的意義は、追徴の制度そのものに対してでなく罰金という財産刑に対してこれをもたしむべきである。その刑事政策的意義を詳述するまでもなく、罰金刑は、主として、経済的利益の追求に伴う各種犯罪の行為者に対して刑罰としての財産的不利益を科することによつてその反覆累行を抑止せんとするにあり、本件につき被告人等に妥当するものは、正に罰金刑でなければならない。かかる意義を有する罰金刑を被告人等に科しながら同様の趣意を内包するものとして、更に追徴を被告人等に科するのは、前記の如き理由により追徴の言渡を違法とする主張が失当であるとしても、この点において違法である。要するに判例の見解は追徴の制度に罰金の役割を果さしめんとして追徴と罰金とを混同したものとの譏りを免れない。

以上のとおりであるから、原判決は、被告人等に対し、罰金刑を以てのみ臨むべきであるに拘らず、罰金刑の役割を追徴の制度にもたしめて追徴をも言渡した点において憲法第三一条の法による適正な手続の保障を奪つた違法があり、結局破棄すべきである。

四、次に、いわゆる利潤加算の適法性について原判決は、昭和二九年法律第六一号による改正後の関税法第一一八条第二項にいう「その没収することができないもの又は没収しないものの犯罪が行われた時の価格」とは、輸入貨物については、その犯罪が行われた当時における国内卸売価格をいうものと解すべきであるとし、更に、本件各犯則物件の品質、性能、国内における需要度、国内における供給量等からみて二割の利潤を加算することは適正利潤の範囲を超えないものと認められるとして第一審判決の追徴の言い渡しを相当であるとして是認するのが不当である。

(一) 追徴すべき価格は「その没収することができないもの又は没収しないものの犯罪が行われたときの価格」である。而して「犯罪が行われたとき」とは本件においては本件各物件を買い入れたときであつて、これらを転売したときでないこというまでもない。

ところで判例が国内卸売価格として利潤を加算しているのは、買入れた物件を転売することによつて利益を得るであろうことが根拠になつていることは否めない。なる程、一〇万円で買い入れた物件を一二万円で転売した場合に、一二万円を追徴することは犯則者の手に違法な利益を保有せしめないためにも必要であると思われる。しかし、それならば、一旦買い入れた物件が犯人の手許にある場合に、その価格はやはり一二万円相当とみるべきであるから、右物件を没収しただけでは足りず(けだし犯人の出捐は一〇万円にすぎない)残余の二万円を追徴すべきであるのに実際には右物件の没収だけで満足していることとなつて不当であろう。

又、犯人が関税逋脱物品たる物件を買入れたときは、そのときにおいて犯罪が成立し、その時における犯則貨物の価格は犯人の出捐額と解すべきであつて客観的な国内卸売価格と解すべきではない。いま仮りに犯人が国内卸売価格が一〇万円の関税逋脱物品を五万円で買入れたと仮定しよう。判例によれば没収すべきものがない限り一〇万円の追徴を言渡すことになるであろう。しかし現物がある場合に犯人は五万円の実害で済むに拘らず現物が転売等により不存在の場合には一〇万円の追徴をうけることになる。そして右犯人が右物件を八万円で転売したにすぎない場合にも追徴額は一〇万円であり、逆に、一二万円で売却した場合(このような事例は常識的に考えられないが)にも追徴額は一〇万円となる。このような結果はやむを得ないというのであろうか。もつとも犯則貨物を取得した者が無償で譲渡した場合を想定すれば、判例のいう「国内卸売価格」の追徴は至極当然のようにも思われないではないが、現実に有償で譲受、有償で譲渡した場合にもなおその授受した金額を無視して客観的に定まる「国内卸売価格」を基準とすべきかどうか多分に疑いがある。

(二) のみならず、原判決は本件各犯則物件の国内卸売価格の算定について二割の利潤を加算することは適正利潤の範囲を超えないとするが、「二割」の加算の法的根拠については何ら示すところがない。

もつとも原判決によれば、本件各則物件の品質、性能、国内における需要度、国内における供給量等を一つの根拠としているが、かかる偶然的な要素は二割加算の事実上の根拠とはなし得ても、法的な根拠とはなし得ない。もちろん関税法一一八条にいわゆる「犯罪が行われたときの価格」の如何については専らその解釈と運用に委ねられたところというべきであろうが、その品目、種類を論ずることなく一律に二割とするが如きは、実際界における商品の特性を無視するも甚だしく実情に反する結果を招来するといわなければならない。

(三) 以上のとおりであるから、いわゆる二割加算が適正利潤の範囲を超えないとする原審の判断は、関税法第一一八条の解釈としては独断であつて(殊に原判決が指摘する本件各物件の「品質」「性能」「需要度」「供給量」については後記のとおり何等証拠がない)もしかかる解釈が関税法第一一八条について許されるものとすれば、同法同条の規定は法の適正な手続を保障する憲法第三一条に違反し、無効というべきである。<以下省略>

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